
「自分をわかってるつもり」が、ふと顔を出すとき
最近ふと思ったことがあります。
「私たちって、自分のことを“見えてる”って思いがちだよね」と。
「ちゃんとわかってるつもり」
「私はこれ、できてるし」
「もう理解できたから大丈夫」
そんな風に、自分に対してどこか小さな“おごり”のようなものを持ってしまう瞬間が、誰にでもあると思うんです。
でもそれは、悪いことじゃない。
責めることでも、恥じることでもなくて、人間らしさの一部。
ヨガの練習が教えてくれること
ヨガの練習でも、こんなことがありませんか?
「今日は呼吸が深く入った」
「このアーサナはもうマスターした」
「私はヨガ歴◯年だから」
その感覚自体は自然だし、時には自信にもつながるもの。
でもヨガは、同時にこうも問いかけてきます。
「本当に“今の自分”を見つめてる?」
「それ、昨日までのあなたの感覚で判断していない?」
この問いは、自信を揺らがせるものではなくて、自由にしてくれるものです。
“わかっている”という意識から少しだけ距離を取ってみることで、私たちはもっと楽になれる。
"疑う"のではなく、"ゆるめる"という選択肢
ここで言いたいのは、
「自分に厳しくなれ」とか「常に疑え」ということではありません。
むしろ逆です。
「私はこう思った。でも、もっと他にもあるかも!」
そのくらいの軽さで、自分の感じ方や考え方をふわっと眺めてみる。
すると、自分にも他人にも、優しさと余白が生まれると思うのです。
- 他人の考えを決めつけずに済む
- 自分の過ちを責めずにいられる
- 「私はこうだから」と自分を縛らなくて済む
それって、ヨガでいう「今この瞬間にいる」ということに、とても近い。
強くなくていい。ただ、正直でありたい。
私たちは、つい「ちゃんとしなきゃ」「分かってなきゃ」と思いがち。
でもヨガの本質は、完成ではなく、観察です。
できている自分にとどまらず、
できていないかもしれない自分にも、スペースをあげる。
その優しさが、実はとても強いことだったりします。
☁️ "今の私"を、ふんわり観察するヨガ的な視点
自分に自信を持つことと、慢心することの間には、
「ニュートラルでいる」という中庸な道があります。
ヨガの練習のように、
毎日違う感覚を持つ自分を、ただ見つめるように。
「今日は、できているようでできていないかもしれない」
「それでも私は、ちゃんとここにいる」
そう思えることが、たぶん一番強くて優しい姿なんだと思います。
✨あなたも、今日という一瞬をやさしく見つめてみませんか?
Namaste🙏
YOGASTUDIO710
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